こんにちは。
茨城県小美玉市・地震に強い家づくり。田山建設の田山真由美です。
昨日のブログで50年前頃の思い出話を書いたらいろいろ思い出したので
今日もまた書いちゃおうと思います。
両親が多忙のため母方のおばあちゃんの家に預けられおばあちゃんと二人で暮らしていた幼少時代の話です
といっても幼稚園入園までのことなので記憶が違っているかもしれませんが・・・
当時、おばあちゃんの家のお風呂は五右衛門ぶろでした。
五右衛門風呂ってわかりますか?
こういうのです
石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられたという俗説から、かまどの上に鉄釜を据え、下から火をたいて直接に沸かす風呂のこと。
全体を鋳鉄でつくってあり、入浴のときは、浮いている底板を踏み沈めて入る。
この底板の上に乗るのが小さい子供にはとっても難しいのだ。
その五右衛門風呂は家の外に、壁と屋根に囲われただけの小屋の中にあった。
今のように家の中ではなかったのです。
もちろん脱衣室なんてありません。
洗い場はコンクリートだったのかな?
排水口なんてなくて洗い場自体に傾斜があって後ろに流れ落ちていたような気がする
なんにしてもアウトドアのお風呂そのものです。
一番イヤだったのが洗い場にナメクジがいる時があること。
もう怖くて怖くて、、、
トラウマなのか今でも大嫌いです。
今はお風呂をつくるのもスイッチを押すだけで
「お風呂が沸きました」
と報告までしてくれるけど
当時はおばあちゃんが薪を焚いていたはず。
多分毎日お風呂をつくるのは大変だったのだろう
時々近所に住むおばさんの家にお風呂に入りに行っていた。
おばさんの家のお風呂も五右衛門風呂
でも少しだけ進化系で家の中にある。
といっても後から家とつなげたような作りで土間のところに炊事場と一緒にあった。
でも家の外じゃないこととナメクジがいないことでホッとした。
おばあちゃんの家に住みながら、時々土曜日にお迎えが来て家に帰ることもあった。
家のお風呂は五右衛門風呂じゃなかった。
家の中にあって床にはタイルが貼ってあった。
壁に絵が描いてあったと思うんだけどどうだったろう。
幼稚園から小学3年生までは家のお風呂に入っていたのにあんまり記憶にない。
おばあちゃんちの五右衛門風呂のことはこんなに思い出せるのに。
不思議だね。
おばあちゃんがタイムスリップして今の時代にやってきたらどんなに驚くことだろう。
これから50年後はいったいどんな風に進化していくんだろう。
なんて50年前を思い出しながら思ったのでした。