こんにちは。
茨城県小美玉市・地震に強い家づくり。田山建設の田山真由美です。
ここのところ50年前頃の思い出話をブログに書いていたらいろいろ思い出してきたので
思い出したついでにもう少し書いちゃおうと思います。
両親が多忙のため母方のおばあちゃんの家に預けられ、おばあちゃんと二人で暮らしていた幼い頃の話です
おばあちゃんは明治生まれ
サザエさんちのフネさんのようにいつも着物に割烹着姿だったと思う。
長い髪を後ろでひとつにまとめ手拭いを頭にかぶっていた。
洗濯するのはたらいと洗濯板。
もちろん洗濯機なんてありません。
洗いあがった着物を洗濯ざおに袖を通して干す。
着物の裾からポタポタと雫が落ちて地面がデコボコになるのを眺めるのがおもしろかった。
そうそう、お風呂が五右衛門風呂で外にあったからなのか
私は昼間の温かい時におばあちゃんの足に体を預け髪を洗ってもらっていたような気がする。
おばあちゃんは毎朝布団をあげると座敷を掃く
夕方にももう一度座敷を掃く
小さい私もおばあちゃんにほうきの使い方を教えてもらって掃き掃除をしていた。
おばあちゃんが
「おばあちゃんが真由美ぐらいの頃は奉公に出て何でもやったんだよ」
と言っていた。
気がする。
「おしん」みたいだったのかな?
明治生まれのおばあちゃんはあまりジュースを飲ませてくれなかった。
私の飲み物はいつも水と麦茶と牛乳。
ある時コーヒー牛乳が飲みたいとねだると
「毒だから駄目!」と拒否され悲しかったことはよく覚えてる。
でもその徹底したこだわりのおかげなのか54歳になる今でも歯は全部自分の歯。
親知らずを抜いたことがあるだけ。
なんか、おばあちゃんありがとう。
可愛がるだけじゃなく躾をしながら育てることはとっても大変だったろうなと思う。
厳しかったけどおばあちゃんのことが好きだったな。
私なんて可愛がるしかできないおばあちゃんだ・・・
今更だけど私もおばあちゃんみたいになりたいな。